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ドイツ旅行 はじめに
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 こんばんは。さて予告通り(!)にドイツ旅行の報告をしましょう。今回は旅程通りに書くのではなく、いくつかのテーマを設けて、それら視点からドイツについて書いてみようと思います。とはいえまずは旅行の概要を。
 今年のゴールデンウィークに一週間ほどドイツへ旅行に行ってきました。ここ一年近く長野県から外へ出てなかったので、さすがに引き籠もり過ぎなのではないかということで、それでは思いきって海外にというわけです。ちなみに僕たち夫婦ともドイツは初めて。僕の友人夫婦がドイツの中央部の街ヴュルツブルクで働いているので、まずはそこを目指して羽田から出発。
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(フランクフルト空港 ヨーロッパ屈指の大空港だけどショップも少なくかなり簡素な印象)
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(ドイツの新幹線ICE シートが広めで適度に硬いため乗り心地はかなり良い)
 フランクフルト空港からドイツの新幹線ICEでヴュルツブルクまでは一時間ほど。ヴュルツブルク中央駅に着いても、車のバッテリートラブルで友人が待ち合わせ時間に来ない…(^^;)といういきなりのハプニングに見舞われましたが、後ほどなんとか合流。友人とは4年ぶりくらいに会ったのですが、ドイツのソーセージとビールで体型が変わることもなく元気そうで安心しました。
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(ヴュルツブルク中央駅 後ろに見えるのは地元名産フランケンワインの葡萄畑 地元の人は「ワイン畑」と言うらしい(笑))
 そこからはローテンブルク→ヴュルツブルク→バンベルク→ニュルンベルク→ミュンヘン→フッセンを経て、再びヴュルツブルクに帰ってくるまでバイエルン州内、いわゆる南ドイツを周遊してきました。友人夫婦が仕事で忙しいなか、何日か僕らのために時間を割いてくれたこともあり、今回も素晴らしい経験をして帰ってくることができました。
 さて次回からはいくつかのテーマでドイツについて書いていくことにします。それではまた。
【2014/06/11 18:14】 | ドイツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
健康って有り難い
 こんばんは。2014年最初のブログ更新です。最近、友人や親族から「ブログ更新してないねえ(苦笑)」と言われることが続いたので、皆さんに忘れ去られる前に密かに更新しておきます。
 さて僕の方は元気で毎日過ごしています。最近、同じくらいの年齢の人から「コレステロール値がヤバい」だの「肝臓の数値が…」など聞くことも増えてきたのですが、僕の方は特に不摂生しているわけでもなく、また週2回は近所のジムへ行ってジョギングと筋トレをしているおかげか、血液検査の数値も全く問題なく過ごしています。ええ軽い自慢です(笑)
 そんな健康体の僕なのですが、今年の1月にちょっとした健康上の問題が発生しました。仕事中に厚紙で眼球のを傷つけてしまい、まあ最初のうちは痛みはあるけど放っておけば治るかなと思っていたのですが、夜になっても涙が止まらないし、だんだん眼が真っ赤に充血してくるなど、正直これはマズいのではないだろうかとかなり不安になりました。痛みも全く眠れないくらい痛くて、これが拷問だったら、「もう何でも話しますから」と今すぐ自白してしまいそうなくらいだったのですが、翌朝すぐに眼科へ行ってみると、先生からは「眼球の表面をちょっと傷つけてしまったみたいだね、まあ2,3日もすれば治るから」と拍子抜けするほどあっさりと言われました。
 大騒ぎした割には大したことない怪我で一安心したのですが、まだまだ先生の話には続きがあって「それよりも貴方は眼圧が高いですね」と言うのです。「眼圧???」最初言われたときどういうことか良く分からなかったのですが、先生の話によると眼圧が高いと緑内障を発症する可能性があるそうで、もし緑内障だった場合、放置すれば失明も有りうるということで、この話を聞いた時、自覚症状も無かったので正直ビビりました。緑内障は不可逆性の疾患で、全く自覚症状も無いまま視野欠損が進んでしまうこともあるそうです。精密検査の結果、幸い現時点では眼圧が高いだけで緑内障は発症してないそうなのですが、一年一回は継続的に検査をする必要があるとのことでした。
 まあまさに怪我の功名というのでしょうか、こんな怪我をしなければまあ気がつかずに過ごしていただろうな、と思うと逆に運が良かったのかもしれません。やはりどこかしら気がつかないうちに身体の衰えは忍び寄ってきているのでしょう。健康であることの有り難さを噛みしめた出来事でした。
 やはり久しぶりだと文章を書くスピードが衰えていますね。もう少しブログでのリハビリが必要な気がします。というわけで次回はゴールデンウィーク中に行ってきたドイツの話を近日中(!)に更新する予定です。それではまた。
【2014/05/17 00:20】 | ライフスタイル | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『日和』に載りました。
 こんばんは。いや、今年初の更新なので、明けましておめでとうございますでしょうか(苦笑)
 さて今月発行のフリーペーパー『日和』に僕の記事が載ってます。なんと2ページ特集で。正直、照れます。長野県内だとわりと目にするフリーペーパーですが、手に入りづらい地域に在住されている場合はこちらをクリックしてVol.89のWeb版をご覧下さい。後半の「はたらく人」に僕が載っています。
 取材は長野市にある編集部からライターの方が、わざわざ松本に来ていただいて、話を聞くのに1時間、撮影に40分くらいと、丁寧に時間をかけて行っていきました。こういう取材を受けるというのは今回が初めてだったので、ライターの方からの質問の切り口や、撮影の時の表情やポーズの指示など、こういう風に取材しているんだということがわかって、なかなか新鮮な体験をさせてもらいました。
 記事を読んで来られた方に、実際に会ってみてがっかりされないように、今年も頑張ります(笑)
【2013/04/14 22:23】 | こばやし画材 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
チベット旅行記(3/3)
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(ラサ郊外のチベット族の家)
 今回の旅行ではラサ郊外にあるチベット族の家庭を訪問することができたのだが、牧畜と農業を営む一般的な農家でも部屋には電球があり、居間の棚にはテレビやミキサーといった電化製品が置かれ、その生活環境が確実に変化しているのがうかがわれた。そのミキサーで作れらたヤクのバター茶で彼らに歓迎され、その少々塩の効いた独特の風味を味わいながら、もしチベットが独立国だった場合、ここまで生活環境は便利にはなっていなかったのだろうな、と思ったのも事実である。チベット15
(バター茶、塩を加えていて独特の風味がする)
 現在のチベットが中国政府の元に完全にコントロールされている状況を考えると、外国人旅行者である僕たちが見るのはどうしても中国政府のフィルターを通したものになってしまうだろう。つまり『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で描かれていたのが欧米から見たチベットだとすれば、今回僕が見たのは中国から見たチベットと言ってもいいと思う。その両方を見たとき、これからチベットが一体どのような道を歩めばいいのか、今のままがいいのか、独立を目指すのがいいのか、正直言って、僕は結論が出なくなってしまった。
 ただ今回の旅行で改めて強く思ったのは、チベット族にとっていかにダライ・ラマという存在が大切なものかということである。16世紀以来、歴代のダライ・ラマが観音菩薩の化身として、チベット族の尊敬を集めてきた存在であることはどうやっても否定できない事実で、ポタラ宮にあるダライ・ラマ14世が24歳まで暮らしていた部屋の前に来ると、チベット族の人はみな一段と深い祈りをその部屋に捧げている。その様子を見ると、公には禁じられていても今もダライ・ラマへの尊敬はチベットでいきづいているように感じられた。
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(チベット族の一般家庭にある仏間)
 また訪れたチベット族の民家にある仏間の棚に、もう一人の聖人であるパンチェン・ラマの写真は飾られていたが、ダライ・ラマの写真が飾られていないのはとても不自然な光景だった。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で聡明な少年として描かれていたダライ・ラマ14世もはや今年で75歳である。チベットがこれからどのような形をとるにせよ、そこにダライ・ラマの姿がないのは、チベットにとっての不幸としかいいようがない。彼の一日も早いチベットへの帰還を願ってやまない。
 さて30分ほど滞在したチベット族の民家からの帰り際、僕はガイドの呉さんに彼らにこう言ってもらうように頼んだ。「皆さんのこれからの幸運を祈っています」と。日本語から中国語、さらにはチベット語へ翻訳されたその言葉がうまく伝わったのかどうか、彼らの反応からはよくわからなかった。帰りの車に向かうとき、その家の最長老であるおばあさんが一緒にやって来て、最後尾から門を出ようとする僕に、彼女は柔和な笑顔で両手を差しのべた。彼女の皺だらけで小さい手を握ると、思ったよりも肉厚で、彼女は力強く僕の手を握りかえしてきた。チベット侵攻以前に生まれ育ったため中国語を話せず、チベット語しか話せない彼女は、チベットにとって激動の時代を、僕らが思っているよりもきっとはるかにたくましく生きてきたのだろう。僕は思わず日本語で「本当に幸運を祈っています」と言って、彼女の手を強く握りかえした。
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(チベット仏教の聖なる湖の一つヤムドク湖)
【2012/04/25 22:53】 | チベット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
チベット旅行記(2/3)
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(チベット仏教独特の祈り方「五体投地」をする人々)
 4日間というチベット滞在期間中、僕たちは様々な仏教寺院を回った。極彩色の仏像やタンカと呼ばれる巨大な仏画、また灯明がヤクのバターで作られた蝋燭だったり、といった日本とは違う部分にばかり最初は眼を奪われがちになるが、根底には六道輪廻という日本と共通の仏教思想があり、釈迦牟尼や弥勒菩薩の話も我々にはおなじみのものであり、むしろ言葉が違っても同じ宗教を信仰しているという親しみのようなものを次第に感じることができた。
チベット8
(六道輪廻を表現したマンダラ)
 またとりわけ感銘を受けたのはガンデン寺という寺院で、4000メートルの山の上に作られた伽藍は、周りに何も無いところによくぞここまで作ったな、と宗教が人を動かす力を感じたし、俗世から隔離された寺院の中で出会う僧侶たちの顔は、ラサ市街にある寺院の僧侶たちの顔よりもだいぶ穏やかなもののように思えた。
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(ガンデン寺、今も多くの僧が修行している)
 ところで日本出発前に度々尋ねられたのは「なんでまたチベットへ?」という質問で、それに対して僕は、チベット仏教に興味があったからとか、青蔵鉄道に乗ってみたかったからとか答えたのだけれど、その度に心の中では何だか違うなという気分になってしまったのだ。それは女性から「なんで私のこと好きなの?」と訊かれ、君の性格がとか、君の姿がとか答える度に、やっぱり何だか違うな、そういうことじゃないのになと思うのと一緒で、チベットへ行きたいというのも、何か明確な理由があってというよりは、曖昧なものだけど確かに存在し続けた気分のようなものだったせいと思う。
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(ガンデン寺、奥には僧侶の姿も見える)
 さてここからようやく映画の話も加わる。1997年に公開された『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画を覚えているだろうか。当時、人気絶頂にあったブラッド・ピット主演ということもあり、日本でも話題を呼んだ映画だった。実在したオーストリア人登山家ハインリッヒ・ヒラーの眼を通して、第二次世界大戦前後のチベット、そしてダライ・ラマ14世との交流を描いた作品である。僕がチベットに行きたかったのはこの映画を観たから、と言うと全くの嘘になるが、2008年、テレビでチベット暴動のニュースを見るたび、この映画のある場面のことを思い浮かべていたのだから、映画が僕のいわゆる「チベット気分」に影響を与えたのは間違いないだろう。その場面というのは1950年の中国人民解放軍によるチベット侵攻のところで、チベットの僧侶たちが膨大な時間をかけて地面に描いた砂のマンダラを、軍の将校が軍靴で踏みにじり破壊してしまう場面である。
 当初チベットへ行くまで僕は、チベット侵攻とはどういうものなのかを、この一場面がとても象徴していると思っていた。そしてチベットへ行くからには、中国のチベット同化政策の現状をしっかり見ておきたいとも思っていたのだった。実際、ラサの象徴ともいえるポタラ宮の周囲には新しいデパートや店が建ち並び、道行く人々は携帯電話を使って話をしているなど、漢民族資本の流入は著しいものがあった。
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(ラサの市街地、道の向こうはスーパーマーケット)
 一方、中国政府はチベット侵攻のことを「チベット解放」と呼んでいるように、人民解放軍がチベットの過酷な格差社会を壊し、人口の9割もいた農奴を解放したのだ、と主張する。確かにかつてチベットの政府が置かれていたポタラ宮の壮麗さには圧倒されたし、その中に置かれている黄金で作られた歴代のダライ・ラマのお墓を見ても、チベット侵攻前にいかに官僚や僧侶に富の集中が行われていたかは想像に難くない。
チベット12
(ポタラ宮、近くで見ると本当に巨大な建造物だ)
【2012/03/18 22:41】 | チベット | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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