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パパ・ユーア クレイジー
 ここ2年ほど「読書会」というものに参加しています。「週刊新潮」の表紙絵を描いている成瀬さんが主催している会で、月に1回集まって課題本の感想を述べあっています。参加者の年齢も20代から70代と幅広いので、感想を聞いていると時々「こんな読み方もあるのか」と驚かされることも多く、毎回勉強不足を実感するとともに、とてもいい刺激を受けることができます。
papa

 今回の課題書はアメリカ人作家、ウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーア クレイジー」でした。10歳の「僕」と45歳の「父」との生活が平易な言葉で、それでいて奥深く描かれている小説です。翻訳文に癖があるので、最初は小説世界に入るのに戸惑いますが、読み進むうちにあまり気にならなくなると思います。その中でも印象に残った一節、「父」が幼い頃に亡くなった父(「僕」にとっては祖父)の話をしているシーンです。まだ祖父がこの世のどこかで生きていることもありうるのではないかと「僕」は考えて、「父」にこう尋ねます。

「じゃあ、彼は生きてどこかにいるかも知れないんだね?」
「そういうことになる」
「遠いところ?」
「いや。とても近いところだ」
「あなたは彼に会ったの?」
「私は彼に会った。実をいえば、私はお前を見るたびに私の父親と出会っているのさ」
この最後の「父」の発言は、論理とはおよそかけ離れたものです。しかし「僕」はそんな「父」の言葉に対して「僕、わかったみたいな気がするよ、父さん」と答えます。そして僕らもまた「そんなこともあるだろうな」と論理を離れて、そうした状況をなんとなく理解します。 こうした非論理的なものを、うまく言葉で表現できる人だけが、作家と呼ばれるに値する人だと僕は思うのでした。
【2007/06/04 22:37】 | | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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