
いま秘かなブームになっているドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の新訳を読みました。先月ようやく翻訳が完結したのですが、早くも全5巻で累計25万部の販売部数を記録しているそうです。新潮や岩波の翻訳があるにも関わらず、あえて新訳の出版に挑戦した光文社の勇気に賛辞を送りたいところですが、どうして新訳が必要なのか?村上春樹は翻訳した『ロング・グッドバイ』の解説の中で次のように書いています。
「家屋と同じように、それぞれの翻訳によって経年劣化に多少の差があるのは当然だが、五十年も経過すれば(たとえ途中でいくらかの補修があったにせよ)さすがに、選ばれた言葉や表現の古さがだんだん目につくようになってくる」
なるほど確かに今回の光文社版カラマーゾフは、以前に読んだことのある新潮版に比べると、言葉がスムーズに頭に入ってくるため、読むスピードは格段に上がったのを実感できます。そうした読むスピードが速まるということが作品読解にいい影響を与えるかどうかは、その作品内容に関わってくるのですが、この『カラマーゾフの兄弟』は約2000ページという分量にもかかわらず、扱っている事件はわずか数日の間に起こった出来事なのですから、そうした読書スピードの上昇が、この場合は読者にいい影響を与えるのではないかと僕は思っています。また文章が読みやすくなっても、その深い精神的世界、混沌としたカラマーゾフ的世界は変わらずに表現されています。これからはおそらくこの光文社版がスタンダードになっていくでしょう。
ドストエフスキーの諸作品は、読んだ後でその人の世界や人間の見え方が全く変えてしまうほどの影響力を持っています。僕自身もこの『カラマーゾフの兄弟』と『白痴』に強い影響を受けました。確かにドストエフスキーの作品は長編が多く読むのに時間がかかりますが、夜も涼しくなったこれからの季節、その世界に浸りきってみるのもなかなかいいものだと思いますよ。