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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ラ・トゥール
 たまには好きな画家についての話でも。この絵の作者ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは17世紀フランスの人です。ロレーヌ公国の雇われ絵師の1人だったラ・トゥールの作品は彼の死後、数奇な運命を辿ることになります。彼の生まれ育ったロレーヌ公国はドイツとの交通の要衝に位置することもあり、一応の独立国ではあったのですが、大国に挟まれた小国の悲哀というか、ラ・トゥールの生存中に起こった30年戦争を境に国は衰退し、やがてロレーヌ公国は滅亡へと向かっていきます。その際にラ・トゥールの作品の大半が散逸し、画家の名前も歴史の闇に消えていってしまいます。
 長らく忘れ去られていた彼の作品が再び注目を集めだすのはなんと20世紀に入ってから、彼の死後からすでに250年以上が経過していました。それゆえ作品の大半は行方不明、21世紀の今も彼の作品はわずか40点が現存するのみです。ラ・トゥールが「フランスのフェルメール」といわれる所以です。
 作品は見ていただければわかるようにカラヴァッジョの影響を受け、強い陰影と物語性を帯びた作風です。僕は人物の表情が豊かなところに魅かれます。他にも彼の作品を見たい場合は、あまり色の再現は良くありませんが(本物はもう少しコントラストが強いです)こちらをどうぞ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Georges_de_La_Tour
 それにしても生前全く評価されなかったゴッホやモディリアーニも、彼らの死後3,4年で高く評価されるようになったことを思えば、ラ・トゥールの評価が上がるまでにかかった250年という年月は異常なまでの長さに思えますし、20世紀に入ってから探して、よく40点も見つけたものだと感心してしまいます。
 そういえば我が家は母親の意向で、僕の子供のころ描いた絵が全て残ってます。もしかしたら250年後に高値になるのを狙っているのでしょうか?無理だとは思いますが…。
【2007/11/01 02:06】 | アート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
アンリ=カルティエ=ブレッソン
国立近代美術館
 先月からの忙しさもようやく一段落ついたので、休日をもらって東京へ行ってきました。今回紹介するのは、竹橋の国立近代美術館で開催されている、写真家アンリ=カルティエ=ブレッソンの展覧会についてです。
 20世紀を代表する写真家の一人であるカルティエ=ブレッソンは、スナップショットの名手として知られ、僕の一番好きな写真家でもあります。スペイン内戦や中華人民共和国の誕生といった歴史的瞬間に立ち会ってきたカルティエ=ブレッソンは、スタジオ写真のような作為性を排し、被写体の内面が一番あらわになる瞬間を捉えようとしました。
 彼は最初の頃、ストリート写真を主に撮っていたのですが、1940年代半ばから作家や俳優といった人々のポートレイト写真も並行して撮るようになります。下の写真は、彫刻家ジャコメッティを被写体に撮った写真です。人間のフォルムを極端にデフォルメした彫刻で知られるジャコメッティですが、ここでは彼の姿はブレていて、一緒に撮られている彫刻の方が前景にはっきりと写っています。しかし、それでもこの写真で表現されているのは、あくまでジャコメッティの内面なのです。カルティエ=ブレッソンがシャッタースピードを落として、わざと被写体をブラしたのは、おそらくその場で何らかの直感があったのでしょう。人間が二本足で直立し歩行することの不思議さ危うさを、ジャコメッティがなぜこうしたフォルムで表現しようとしたのか、その製作過程の内面にまで迫る写真だと僕は思います。
ジャコメッティ
【2007/07/23 01:01】 | アート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
熊谷守一
熊谷守一

 昨夜、どこから迷い込んできたのか、風呂場で蟻を見つけました。風呂につかっている以外することもないので、じっと蟻が壁伝いに歩いたり止まったりする姿を見ていました。
 「蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」
 画家・熊谷守一の言葉です。蟻が歩いている姿を見ると、僕はよくこの言葉を思い出します。本当に蟻は左の二番目の足から歩き出すのか、人によっては冗談としか思えないような言葉でもあります。しかし極限まで研ぎ澄ました観察力で、対象の色や形をギリギリまで削ぎ落とした彼の絵を実際に見ると、彼の言うとおりに蟻は歩くのだということを僕は信じたくなります。
 熊谷守一は60歳を過ぎてから、ようやくそのスタイルが完成した大器晩成の人です。若い頃は困窮生活の中で、三人の子供を幼くして亡くしています。その時のことを振り返って、彼はこう言っています。
 「次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、描いているうちに“絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました」
 息子のために絵を描いていたのに、いつの間にか自分のために絵を描いている自分。悲しいはずの息子の死顔を、いつの間にか絵の対象として鋭く観察している自分。そしてそんな自分から逃げ出せない自分。画家であることの“業”がこれ以上表現された言葉を僕は知りません。
 晩年彼が暮らした池袋の自宅跡には、現在、彼の美術館が建てられています。彼の絵に興味を持った方は、是非行ってみてください。僕も見に行きましたが、素晴らしい作品がたくさんありました。
【2007/06/25 23:34】 | アート | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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